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2025.10.30

東京大空襲〜戦後を生き抜いた父の手

95歳の父の手。現在は施設で余生を送っているが、深いしわとすっかり薄くなってしまった皮膚は95年生きてきた証である。浅草生まれ、浅草育ちの父は東京大空襲を生き延びた。当日、家族は全員福島に疎開し、14歳の父はひとりで家に残っていた。外の騒ぎに目を覚ましたときは炎が家の近くまで迫っていたという。何も持たずに家を飛び出すとみんなが隅田川に向かって逃げていたなか、父が選択した逃走経路は銀座線田原町駅から地下鉄の線路を上野に向かうものであった。日頃、父の父から「火が出たときは川には逃げるな。炎が水面を走るから危険だ」と教えられていたからだ。こうして無事に上野に辿り着いた父は、上野公園の高台から自宅の方角を見た。空の半分が橙色に染まるほど浅草は炎に包まれていたという。一夜明け自宅に行くとすべてが焼き尽くされ何も残っていなかった。上野駅の地下道にいると焼き残った柱に印し、その日から上野を根城にした生活が始まった。だが父は希望を失わなかった。学徒動員で国鉄で働いていた父は顔がきく。朝イチの電車に乗ると船橋へ向かった。ここで漁師の水揚げを手伝い、駄賃としてリュックいっぱいの魚をもらっていた。その魚を上野の闇市で売り捌き食事代にあてていが、上野には両親を亡くしたいわゆる浮浪児が溢れていた。父は残りのお金をすべて浮浪児のために使ったという。明日船橋に行けばまた魚がもらえるからだ。以来、父が上野を歩くとたくさんの子どもが金魚のフンのように後をついてきたという。そのようすを見て声をかけてきた大人がいる。地元のヤクザ関根組の組長であった…。  この続きはまたの機会に。